今和次郎「日本の民家」再訪:秩父

今和次郎「日本の民家」再訪:秩父

瀝青会の秩父調査には、都合により二日目から合流。 初日は冠岩の集落を訪ねたという事だが、ここには私は行っていない。今和次郎が訪れた秩父の集落はいずれも廃村になっている事がわかっていた上で、その建物がどうなっているかを見るために訪れたのだが、冠岩については積雪の重みによって我々が訪れる二年ほど前に全て壊れていた。郷に近い何軒かはまだ形が残っているらしいので、いずれ個人的に訪れてみたいと考えている。

さて。ここに掲げた写真は、二日目の調査地である毛附の集落に至る道程の山道の風景と残された建物の敷地や内部の様子と、三日目に訪れた栃本集落の風景が主である。険しい山に開かれた敷地に、自生の立木が覆い被さるように林立しているため充分な引きが不可能だったので、残念ながら毛附の家の外観全景の写真は撮れなかった。当主は既に山を下りて市内で暮らしているが、十日を開けず片付けに通っているという事で、内部はいつでもここで暮らせるほど綺麗に片付けられていた。住人がいた時代の「モダン」であるチェックの色褪せたカーテンが作る和らいだ光に照らし出された昭和風の鏡台が、かつてこの家に女が暮らしていた事を語るように艶かしく映った。

栃本はかつて甲斐国に抜ける甲州往還の関所があったところで、現在の生業は判然としないながら南面の斜面に開かれた集落は谷間とは対照的に素晴らしく日あたりがよく、奥秩父としては暮らすに易いところであるように思われた。昔日は川水の利用には苦労したはずだが、あるいは渓流があったかもしれない。その辺りは本調査では詳しく調べていない。地理的にはむしろ山梨県に近く、修験者のような健脚ならば山を二つ越えれば雲取山から奥多摩にも達する事ができる位置にある。美しい村だった。

一枚だけ文脈から外れた写真があるのは、毛附から栃本に移動する際に一度秩父市内によって買い物をした際に、スーパーの駐車場から拝んだ武甲山の姿。古民家とは縁のない絵ではあるが、秩父を象徴する風景として「今和次郎『日本の民家』再訪」の口絵にも所収された一葉だ。