CASACO

CASACO

CASACOはそこで行われる人々の営みという視点から捉えればゲストハウスであり、カフェであり、シェアハウスである。ただ、これらは表向きの言葉に過ぎず、訪れるヒトによって多様な顔をみせる。

http://casaco.jp/

建築としてのCASACOは、老朽化していた建物を、その構造にまで手を入れて全面改装し、別の建物として生まれ変わらせたものだと言える。元々の建物は築65年に及ぶ古い木造の二軒長屋形式のアパートだった。それをベースとして、tomitoの設計により新たな命が吹き込まれている。

建物の特徴であり、顔になっているのはアプローチからの取り付きにある「ぴんころテラス」だろう。このテラスは、アパートの角部屋だった空間の角柱と壁を抜き、外部に開いた空間として形作られている。かつて「内部」だったものが今は外部との接続空間として存在しているわけだ。

ぴんころテラスという呼び名は、近隣の野毛坂の舗装として古くから使われていた「ぴんころ石」が改修の際に廃棄されるという話を聞きつけたtomitoがそれを貰い受けて、テラスの仕上げ材として活用したことに由来する。テラスの基壇はかつて建物の基礎であったことを受け継ぐものであり、概念としての「建物」に属する。しかしその仕上げに道路の素材と手法が導入されたことで、空間として、より強く路上に向けて開かれたといえる。

そうした意味性をたどって行くと、この建物によってつくられたCASACOという場所が「結節点」であることを、このテラスがすぐれて象徴しているようにも思われる。ぴんころ石を使うアイデアは計画にあったのではなく、偶然から生まれたものだ。しかし、偶然を天啓として捉えることもまた建築家の才能である。ここを訪れるたびに、私はこのテラスが平凡なウッドデッキなどにならなかったことをしみじみ嬉しく思う。

もっとも、この好ましい場所に座り、径往くヒトとどちらからともかく挨拶を交わしていると、一切の面倒な考えは不要になってしまうのではあるが。

「あそこに行けば誰かがいる。面白い時間がある」という期待で人は集まる。人が集まると場所が出来る。建物はそうした営みを無言で支える。

Casacoを撮影することが決まって以来、これをどう撮るかについて私なりに考えた。建築写真プロパーではなく建築に詳しいわけでもない自分が、これをどのように撮るか。その上で、建物がどのように立っているかを解剖するように撮るのではなく、この建物が街の中にどのように存在しているか。この建物から街がどのように見え、街からこの建物がどのように見えるかを描くことを主眼として撮影するように努めた。

Linkto:  tomito architecture | CASACO