引用の小冊子
虹
写真は秘法によって生み出された虹である それは化身のように手でつかむこともできないが
夢のような美しさがある しかも確固とした実在性を持っている 私はそういう写真を撮りたい
— 土門拳 —
「(私は)偉大な思想になどならなくてもいいから、偉大な質問になりたい」
— 寺山修司(10歳) —
Sat Mar 8
“ 表現する事は勇気を持つ事。
花は美しいというと「美しくない花もある」という人が出てくる。そのクレームを想定し「美しい花もあるが美しくない花もある」と書く。それはもはや言う必要のない文となる。全ての人が納得する文では表現にならない。
勇気が必要なんだ。Twitter / nono0005 (via igi)
2013-12-31
(via mmtki)
http://dannnao.net/blog/2014/03/表現する事は勇気を持つ事/
- イノベーションは誰がリーダーで、誰が追随者かをはっきりとさせる
- 自分がクオリティの基準となりなさい。人によっては、常に優秀であることが期待されている環境に慣れてないのだから
- すばらしい仕事をするには、自分のやっていることを好きにならなくてはいけない。まだそれをみつけていないのなら、探すのをやめてはいけない。安住してはいけない。心の問題のすべてがそうであるように、答えを見つけたときには、自然とわかるはずだ
- 知ってると思いますが、私たちは自分たちの食べる食べ物のほとんどを作ってはいません。私たちは他人の作った服を着て、他人のつくった言葉をしゃべり、他人が創造した数学を使っています。何が言いたいかというと、私たちは常に何かを受け取っているということです。そしてその人間の経験と知識の泉に何かをお返しができるようなものを作るのは、すばらしい気分です
- 仏教には「初心」という言葉があるそうです。初心をもっているのは、すばらしいことだ
- あなたがテレビのスイッチをオンにするのはあなたが自分の脳のスイッチをオフにしたいからだと思います。それに対してコンピュータで仕事をするのは、脳のスイッチをオンにしたいときではないでしょうか
- 私が知ってるなかで、一年で 2.5 億ドルも失った人なんて自分しかいない。でもそれは非常に人格形成に役立ったよ
- 私は持っているテクノロジーをすべて引き替えにしても、ソクラテスとの午後のひとときを選ぶね
- 私たちはこの世界に凹みをいれてやろうと思ってここにいるんだ。そうでないなら、なんでそもそもここにいる必要があるんだい?
- あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマにとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない 。
paul steven “steve” jobs
Stay hungry.
Stay foolish.
聖地
ここ10年ほど、北米、南米、アジア、アラブ、アフリカ他の、巨岩が不思議な造形で、むき出しになっている乾燥地帯へ撮影で出かけることが多くなった。人里離れた場所なので、野宿をすることになるのだが、そんな時、スッと気持ちが良くなることがある。神域と言われるところに行くと、気分が良くなることがあるが、それに近い感覚である。
ある夜、岩の上に直に寝てみた。昼の灼熱の陽光のせいで日が暮れても暖かくて気持ちがいい。やがて夢うつつのうちにえも言われぬ快感を体験した。自分の下(地中)と上(上空)が体を貫いて一体となったようなそんな恍惚感であった。これらの地の幾つかは、ネイティブの人達の聖地になっていること、そしてそれらの地中には豊富な鉱物資源が確認されていることが、後になってわかった。
日本でも、一例を挙げれば、古生層片岩地帯の地質分布が、紀伊半島山地の中央部を東西に横断し、紀伊水道を西に経て、四国を東西に横断し、九州へ延びているそうだ。金、銀、銅、鉛、亜鉛硫化鉄、水銀、他の分布地点と、真言密教の聖地、高野山そして四国八十八ヶ所の霊場とが一致するのである。
多くの山岳信仰の地、霊山、神社仏閣のある地、これらと鉱物の関わりは非常に深いものがありそうだ。実際に岩が信仰の対象になっているところもあり、これはインドや東南アジア他の国でも数多く見受けられる。このことが何を意味するのか、僕には分からないが、聖地なり神域ということで地中のものが永い年月守られて来たことは事実であり、何か強烈なエネルギーを発するものが、本来あるべき地中にあって適度な作用を地上に及ぼしているのではないだろうか。その地を深く掘り、地中にあるものを取り出すことを固く禁じ、先祖代々守るように言い伝えの残るネイティブアメリカンのボビ族の聖地や、同じくハヴァスパイ族の聖地、オーストラリアのネイティブ、アボリジニの聖地カカドゥ等には多量のウラニウムが埋蔵されており、地元の人々の抵抗にも関わらず、政府はその採掘を強行している。
守り続けられて来た聖地への破壊行為はその地の汚染や人々の被爆に止まらず世界中にその輪を広げている。ボビの地のウラニウムは彼らネイティブアメリカンの地ロスアラモスでの、世界初の核実験や、広島、長崎の原爆にも姿を変えた。やはり土地を深く掘ることを禁じているティベットにもウラニウム等の地下資源が豊富に埋蔵されているような気がする。さて、原子力発電の恩恵にあずかっている現代の我々の繁栄は、多大な犠牲の上に成り立っている訳だが、未来に対しても犠牲を強いていかざるをえない。増え続ける、半減期214万年のネプツニウム237を含む高レベル放射性廃棄物をガラスで固め、コンクリートで覆い地中に埋めるしか術がないという事実。天変地異にガラスやコンクリートが214万年も耐えられ、自然環境に影響を決して及ぼさないという事を、我々の世代が責任を持つことができるのだろうか。いっそ、核廃棄物保管場と原子力発電所や関連施設の跡地に、しめ縄でも張りめぐらして聖地とし、後々の世代へ「決して近づいてはいけない、掘り返してはいけない。」と、言い伝えでも残したらどうだろうか。
後の世代が存在していればの話だが。1998年 広川泰士
the bible didn’t mention us, not even once
— Regina Spektor : “Samson” Lyrics —
「引用の小冊子」という言葉は、ソンタグの “on photography” の最終章 “A brief anthology of Quotations” の訳として日本語版の最終章の題としてあてられたものです。
とはいえ、引用する短文はソンタグの著書から引いたわけではなく、私自身が見聞し感銘を受けた言葉の中から、備忘のために書き留めるものです。もちろんソンタグの On photography 最終章に引用されたものの孫引きもあります。