大高隆 a.k.a. dannna_o
- 来歴
- 1964 東京に生まれる。名は大高隆
- 1974 いわゆるお受験コースに乗るように周囲から勧められるがそのつもりには全くなれず。
競技水泳をかじり始める。 - 1978 目の怪我をきっかけに競技水泳を断念。やることがない中、たまたま手元にあったヤシカで写真を撮り始める。
- 教育
- 1980 都立九段高校に進学。このころはまだお受験コースの脇を歩いていました(謎)
- 1982 父の病死により、進学圧力が無くなり脇道へ
- 1983 都立九段高校 卒業
イラストレーションの勉強を志して多摩美術大学に進学 - 1987 多摩美術大学 美術学部グラフィックデザイン専攻科卒業
芸能プロダクションの嘱託カメラマンのような事をしつつ一年過ごす。 - 1989 母校、多摩美術大学写真研究室に副手として奉職
写真用バキューム機材やカラープリントの研究で有名な怪人・脇リギオ先生のアシスタントを三年務める
- 仕事
- 1991 研究室を離れ、フリーカメラマンとして活動開始
- 1992 NTT InterCommunicationCenter (ICC) の活動に公式カメラマンとして関わり、機関誌「InterCommunication」におけるEditorial全般の撮影/ICCギャラリーでの展示撮影などを手がける。95年のICC開館以後も深く関わる
- 1997 新潮社の書籍装幀のための写真を撮影し始める
- 1998 新潮社「クレストブックス」シリーズ刊行にあたりカバー写真の撮影を任される。このシリーズではモデリングの設計・製作から関わり作品の世界観の表現を志した
- 2003 撮影の一部をデジタル化。
以降、HTMLの習得などweb関連の勉強を継続して行なうように。あわせてQuicktimeVR/ステッチングによる巨大パノラマ画像の製作を始める - 2004 六本木芋洗坂にあったBar TRAUMARISに出入りするようになり、オーナーであり、アートライターでもある住吉智恵さんの薫陶を受ける
- 2006 中谷礼仁氏の主宰する「瀝青会」の一員として、民俗学・考現学の先達、今和次郎の足跡を追う旅が始まる。
- 2009 恵比寿映像祭(東京都写真美術館)記録撮影を担当
(2009-2011) - 2011 瀝青会の旅を完結。書籍化にかかる。
東日本大震災被災地を巡る日本造園学会の調査に随行して気仙沼地区の記録映像/写真を担当。初めて震災被災地を訪れる。
週刊の紙メディアで機材ガイドを担当。撮影に加え、スパルタ式で書き仕事の基本を身につける。
瀝青会に加え、新たに千葉大学のメンバーを迎え「古凡村(千年村)」のプロジェクトを開始。
10月末に富岡町を取材。警戒区域内の実情を垣間見る。 - 2012 瀝青会の旅の成果を単行本「今和次郎『日本の民家』再訪」として上梓。
- 2013 Personal workの枠組みを「震災と原子力災害のできる限りの記録」と、東京の「群衆」の記録と定める
- 2014 千年村活動を離脱。アーカイブの仕事をしつつ、デジカメwatch誌上でのPENTAX番としての寄稿を通じて、カメラジャーナリズムについて考える。
- 2015 新宿駅15番線ホームを撮るplatform 15と、渋谷のスクランブル交差点を撮る46 secondsの2つのシリーズに本腰を入れ始める。
- 2016 現在 福島県・富岡町周辺の旧警戒区域の様子を撮り歩く仕事に取り掛かったところ
日本荒れ地学会 正会員
Born in TOKYO 1964, ROCK in 1974, …and rollin’on.