芭蕉さんよりのお便りに寄せて(謎)

オオタカさんの年末年始の写真、予想より被写体に寄っているなと思ったのですが、レンズチョイスは狙っているのでしょうか。 このひっかかり、記録は風景ごとと思う私の固定概念なのでしょうか。 おやすみなさい。

【芭蕉】

基本的には、クリスマスイブの渋谷ハチ公前交差点を撮るシリーズは大体105mmあたりのレンズで撮っています。ズームを使う事が多いので多少ばらつくけれども、35ミリ判換算画角で150mm内外なのでそれほどの望遠ではありません。基本的に雑踏を撮るときは、相手がそれを気に入らなければ抗議したり殴り掛かってくることができる程度の、「相手の射程」に入って撮る事が礼儀だと考えていますが、現実的にはあまり短いレンズだと相手の通行の邪魔になり、物理的な衝突の危険もあるので、経験的にこの焦点距離に落ち着いています。

それとは別儀として、同じ焦点距離を使っていてもやはり寄りの方が絵としては強くなるので、散発的に投げる時に選ぶ絵はどうしても寄りのものが多くなり勝ちです。それに加えて、雑踏の中では最前列のヒトしか写らないという問題もあります。つまり、ここに写っているヒトとの距離感は、撮影中に俺が放っているオーラ(謎)が相手に察知される距離で人波が割れる、その点までの距離感ということになるのでしょう。その時の気の濁りによって近くなったり遠くなったりします。クリスマスに撮る時は基本的にある決まった舗装タイルの上に立ち、一歩も動かずに撮ります。その位置はこの10年変化ありません。

花園神社の写真は40mmのレンズを使って撮っています。換算60mm相当の画角なのでほぼ標準レンズといってもよいでしょう。ここでも寄りで撮っているように見えるというニュアンスのご質問かなと思いますが、雑踏あるいはにぎわいを撮る場合に、引きのモブシーンを撮っても実はあまり伝わらないと思います。やはりその、人ごみの中の様々な人格:キャラクターや出来事が見えてこその物語であり(Night on the planetですね)漠然とした引きを並べるよりも、そうした情景を組み合わせてみせるほうが定石と考えます。もっとも、昨今の迷惑防止条例やプライバシー解釈の中でこれを押し通すのは結構きついものがありますが。

あと。技術的なことを言えば、主要な被写体となっている人物の頭のてっぺんを微妙にフレームアウトさせる事で視線が背景に逃げずに、人物の表情や動きに意識を集中させることができるというのはあります。これを行なう事で、倍率的な意味では引きと変わらなくても、印象として「アップショット」の効果があります

あと、私がこのシリーズで扱いたいのは、この季節特有の多幸感のある表情を浮かべた人々の姿を記録するという事であり、それを撮るにあたって選んだ場所が渋谷ハチ公前交差点である事を写真で説明する必要はないと考えています。そういう表情を見せるヒトが多く集まる場所として選んでいるに過ぎないので。今のところの意識の中では


以上、twitterの方で投げた写真をご覧になった東京都のラジオネーム松尾芭蕉さんからのお便りに対するお答えをここに掲載します。twiのDMでは字数が足りないため(謎)

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