日本の伝統文化「ねずみ返し」です。
夏ですね(謎)
固定ページ
カテゴリー
アーカイブ
放射性物質に汚染された食品による体内被曝を避けたいという民衆の要求は新たな市場を生み、従来は東京まで流通してこなかった九州や四国の産物が東京のスーパーに山積みになり、大分産の黒々とした長茄子も三本280円くらいで飛ぶように売れるようになった。売れるようになったから、流通経路と運送システムが確立され、長茄子は三本180円になり、少し色が薄くなった。
そして、我々は職業上受忍すべき不可避な被爆線量として規定された、かつての放射線関連施設従業員と同じ被爆量の中でそれを食べる。
さる賓館の年に一度の一般公開にお呼ばれで行って来ました。
公式サイトのトップページからしてパスワードを叩かないと何も表示されないような由緒正しきところであるそうなので、その名前はここでは秘する事としましょう。都区内です。
天気もよく、芝生も基台となる土壌の管理から素晴らしいコンディションで、よくある公園の芝生のような固いものではなく、おそらく掘ればミミズやオケラがわんさか出てくるだろうなという柔らかいもので、故障した膝を抱える身には大変うらやましいものでした。
デジカメwatchの記事で「DA40mm ltd.はテッサー型の光学系をとり」と書いたところ「DA40mmは4群5枚でテッサーより一枚多い!ちょっと調べればわかるような事ででたらめを書くな」とおしかりを頂戴したオオタカです。皆様お元気でしょうか(謎)
さておき。以下は弁明というか、事の顛末に対して少し解説を加えておこうと思い書き記すものであります。順序立てていいいますと、まず最初に、DA40mm ltd.が4群5枚でテッサーよりも一枚多いことは存じておりました。当初私自身もそれを根拠に「これはパンケーキだけれどもテッサーじゃないんだな」と考えたくらいです。しかし翻ってテッサーとはなにかと言うことを考えた場合、「トリプレットの3枚目の凸レンズを貼り合わせにしたもの」と言う事が可能です(乱暴ですが)
テッサーは、1枚目が凸レンズ、2枚目が凹レンズで、この二枚のあいだは空間をとり空気レンズとして作用します。そして3群目が凹凸の順で貼り合わせの凸レンズ。以上がテッサーの構成で、ここまでの話で言えばDA40mm ltd.は完全にこれに当てはまります。ただDA40mm ltd.の場合この後ろにもう一枚の凸レンズが入ります。そういう意味では厳密なテッサーではない事は自明です。この追加された一枚がなんのためのものかは光学設計の専門家ではないので確かなことはわかりませんが、おそらくはデジタルカメラ用レンズに必要とされたテレセントリック性を確保するためのものでしょう。
ではなぜ「テッサーである」と書いたのかと言えば、んーむ。基本的には勢いで言い切ってみたというのがあたっていますが、もう一面としてはパンケーキならみな同じ…みたいな話にしたくないという思いもあります。
パンケーキレンズが最近各社から発売されていますが、その中でもテッサーを特別視するむきがあり、テッサータイプに非ずばパンケーキに非ずとおっしゃるファンの方も多いような。実際に多くのパンケーキレンズはテッサーとは似ても似つかないダブルガウス型の設計をとっており、当然光学特性にもダブルガウスの癖を持っています。一眼レフ用の標準レンズはダブルガウスでは設計が難しく、大口径化するには50mmではなく58mmや55mmという長めの焦点距離をとる事が多いという事実があるのに、40mmのダブルガウス…ということです。
先に述べたように、私自身当初はDA40mm ltd.はテッサーではないと考えたくらいですが、少なくともこのレンズはダブルガウスではありません。よく言えば「変形テッサー」あるいはテレセントリックテッサーとでもいうべき設計をとっているように思われます。まぁいずれ歴史が評価するでしょうが(というかレンズ記事ではないので本分にこれだけの説明をいれられる見込みがなく怒られるだろうなと思いながら話を丸めました申し訳ございません)
先日あるメーカーのユーザースクラブの会報をめくっている時に、投稿コンテストの写真が眼に止まった。もちろんそれは古典的かつ定型的な「アマチュア写真」なんだけど、先に書いたように、最近の情勢が路上スナップを禁じる方向に向かっており、商業誌のコンテストやwebの投稿写真には既に見知らぬヒトを路上で撮るような作風のものは見られなくなっている現実があり、それと較べるとそこに掲載されていたあまりにも古典的なアマチュア写真正道の作品たちは、妙な言い方だけれども新鮮なものとして眼に映った。
そのことを書き留めておきたい
あまりにもシャープに撮り過ぎてしまうと、不気味の谷に手が届いてしまうのではないかという思いが最近少し頭をもたげて来ている。しかし、翻って見れば、写真術が普及し始めた時に人々が「魂を吸い取られる」と考えたことも、あるいは不気味の谷に隣接した問題なのではないかとも思う。
感じ。思い、考える。