なぜ "useless" か

自分がなぜdsbdに関わるようになったかといえば、あの内原さんのデジカメwatchの連載でとりあげられたときに、ブラジルさんとか江渡さんとかのtumblrでうちのweblogに対する言及があり、そのリファラーをたどる事でtumblrの存在を感知したのだった。たぶん普通よりは少し早い部類というくらいの時期だろうか。

tumblrの存在を知ったわけだ。そこで「コレはなんなのか」とGoogleにたずねたところ、好きなものをなんでもほおり込んでおけるスクラップブックのようなものだという説明が多く見つかった。あまりそのようには見えなかったがとりあえず試してみようと思い、アカウントを作りdsbdに入り、とりあえず把握していたいくつかのアカウントをフォローして、そこに流れてくるrblgの中から気になったアカウントをまた …という具合にフォローを増やし。半日くらいで、それなり以上の奔流が流れるようになった。

その時点での http://dannnao.tumblr.com/ のタイトルは useful だった。
でも、目の前にあるものは違うなと思ったので、それを useless と改めた。一日保たなかったわけだ

曲の歌詞として現れる例を挙げれば

what shall we do?
what shall we do with all this useless beauty.
All this useless beauty

You are the most useless thing.

などの例が思いつく。文章の中での用例では

useless, but exist

Totally useless but awesome facts

などなど

ここでの語感は詩的な表現としての beauty に通ずる意味を持っているように思う。「ただ美しいだけではなく本当に美しいもの」というように。きれいなのではなく美しいこと。役に立たないこと。基本的には愛の言葉であろう。正しさに依存しない肯定。何の意味もないが確かな存在

あの日以来。より完全なuselessを指向している。
そしてそれは、おそらく肉体を持った自己にも反照している

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